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リベラ()は、トルコの競走馬。2000年代のトルコ牝馬チャンピオンで、トルコでは最も名前の知られた競走馬の一頭。2001年から2008年まで7年間に及んだ競走生活で数多くの国内重賞を制し、2005年にはパート3国(当時)のトルコ調教馬として初めてパート1国アラブ首長国連邦のドバイで勝利した。生涯収得賞金288万新トルコリラ(引退当時のレートで約2億5000万円)はトルコ調教牝馬の史上最高額である。 == 戦績 == 2歳時にはそれほど目立った成績ではなかったが、地方開催であるイズミルのダート競走で実績を積み、2002年3月にダートで初めて重賞を制した。イスタンブルに凱旋して5月のトルコ国内G1ディシ・タイ・デネメ(トルコ1000ギニー、芝1600m)2着から6月のクスラック賞(トルコオークス、芝2100m)を制してG1を初勝利。6月末のガジ賞(トルコダービー)は内国産馬限定であるためアイルランド産であるリベラは出走権がなく、その同日に開催されるG2アナファルタラル賞に出走したが、英国産の牡馬ディニイェペルの2着に敗れた。 次走のG3では1位入線したが、禁止物質が検出されたため降着処分となった。以後15か月にわたってレースには出走していない。 4歳秋の2003年11月にブルサで復帰。ブルサからアダナへと地方を転戦するものの当初なかなか勝てなかったが、2004年5月にイスタンブルに戻ってG2イスメット・イノニュ賞、G2ジュベイデ・ハヌム賞を連勝。この年はG1では掲示板どまりだったが年内に重賞を通算4勝した。 明け2005年、6歳になったリベラはグランドエキノクス(2003、04年)、ディニイェペル(2004年)に続くトルコから3頭目の挑戦者としてドバイワールドカップカーニバルに参戦。緒戦のハンデキャップ競走4着を経て、2月3日のケープヴェルディステークスに勝利し、トルコ調教馬によるドバイ初勝利を挙げた。3戦目バランシーンステークスでは前走2着のムーンダズルに雪辱を許し、締めくくりの国際G1ドバイデューティーフリーは9着でドバイ遠征を終えた。 帰国後はジュベイデ・ハヌム賞連覇からG1トルコ首相賞(芝2000m)、G1ファーティフ・スルタン・メフメット賞(芝1600m)を連勝。G1トルコジョッキークラブ賞(芝2400m)こそ古豪グランドエキノクスの2着に敗れたが、成績の最盛期を迎える。 7歳時の2006年以降も現役を続行し、G1には勝てなかったが2008年までの3年間に19走して11勝、2着5回、3着1回と安定した成績を残した。2007年には賞金が大幅に増額されて高額賞金となった国際競走トプカプトロフィー(芝1600m)でサブルル(のちのトルコ最高収得賞金馬)の2着に入り、地元勢によるワンツーフィニッシュを決めた。 2008年9月6日の国際競走イスタンブールトロフィー6着を最後に9歳で現役を引退。10月29日にヴェリエフェンディ競馬場で引退式が行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リベラ (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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